日々に感謝

何でもない日常で考えたことを、堅苦しい感じで書いていきます。ユーモアのセンスが欲しい

母から貰った生きる道しるべ

今年も一つ歳を重ねる日になりました。(ブログを書いてたらすっかり過ぎちゃったけど)
毎年毎年、大きなイベントが起こりすぎて非常に楽しい人生だなとしみじみ。

 

ある人にとっては、恨まれてるかもしれません。

ある人にとっては、羨ましがられてるかもしれません。

ある人にとっては、どうでもいいかもしれません。

 


まるで2-6-2の法則を地で行くような人生です。

ただ、私にとっては楽しい人生である。と今のところは言えます。


ここからは少し長いですが、今を残して置こうかなと思います。
今、この瞬間を忘れないためにも。

 

 

現在、私の母は末期の乳がんで自宅療養をしています。

フリーアナウンサー小林麻央さんや、ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんの声を担当されていた水谷優子さん、元プロレスラーの北斗晶さんなどが皆さんの記憶に新しいかと思います。

 


母はこれで、4度目のガンです。


1度目は、私が小学校入学の時。
2度目は、私が小学校低学年の時。
3度目は、私が大学受験の時。


そして、今回。
私がちょうど大学院に入学したのと同時でした。

 


母は、時に私のために病院に行かず、物凄く耐え忍んでくれました。

その結果と思えば、そうかもしれませんし、たまたまと言われればそうかも知れません。


何が引き金となるかというのは、本人でも分からないとのことです。
だから、何か、誰かの責任というよりは、その運命を全うできるのが私の母だっただけの話であろうと。

まるで逃げのように聞こえるかもしれませんし、納得できない方もいるかもしれません。
なぜならば、私自身が、何より母本人が、全く納得出来ていないのですから当然です。

 


「仕方ない」なんて言葉で済ませるような人間にはなりたくないと。
そんな言葉を発する奴らをどうして許せようかと。
健康のくせして、何を知ったような口を聞いているのかと。

無関心な人間を、どんまいの一言で済ますような人間を、どうして思いやらなければならないのかと。

 


けれども、どれもが「仕方ない」ことに本当は気が付いているのです。

誰にも、どうにも出来ないことを本当は気が付いているのです。

他人にとっては対岸の火事であり、まるで天災のことのようにしか感じられないことに本当は気が付いているのです。

だからこそ悔しいし、だからこそ納得いかないし。

 


だから、私は母から貰った言葉を今こそ深く噛み締めています。
「友人を大切にしなさい。そして、警察の世話にだけはなるな」

 


この言葉には重要なことが3つ含まれています。


1つ目は、友人を大切にする。つまり、自分に関わった人を大事にしなさいということ。
倫理(敢えて特定の宗教を絡めませんが)にある「隣人愛」が重要であるということ。

 

2つ目は、警察の世話にならない。つまり、犯罪行為で他人に迷惑を掛けてはいけないということ。
人工法と自然法、どちらも犯すことは人としてあってはならないということ。

 

3つ目は、自由に生きなさいということ。
人を大切にするということは、これは人に迷惑を掛けるということでもあるのです。
肉体的、精神的のどちらかで「共存」するということがどうしても発生してしまう中で
犯罪行為でないならば、人に迷惑を掛けることを理解し、そして人から受ける行為を許しなさいということです。


ぶっちゃけて言えば、そんなに深い意味は無いかもしれません。
けれども、良いのです。私が、そう感じ取ったのだから。

 

綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、昔の日本(少なくとも第二次世界大戦敗戦後の高度経済成長に至るまでの間)には普通にあった考え方だと思います。

 

 

現在を見るならば、社会、金、権力(敢えて、違う表現として置いておきますが)が絡めば
人は堕落し、傲慢になり、あらゆる下卑た行為に無頓着になります。

 

それが横行するのが、今の社会だと思っていますし
事実、例えば話題の舛添さんなんかはその典型だと思います。

元は、そこまで裕福な家庭で育ったわけではないものの大学の助教にまでなれるような人物ですし
凄い努力をされて来たのだということは、想像に難くありません。(努力が「偉い」かどうかはここでは論じません。本筋に関係ないので)

 

けれども、そんな方が「壊れたテープレコーダー」になってしまったのは
ひとえに「金」に呑まれたからだと思います。

 

だって、すべて舛添さんの個人資産から支出されていたら文句を言う人は誰もいないでしょう?
それが、そもそもおかしいとも思うのです。
本来であれば「いやいや、仕事上の支出ならちゃんと経費にしなきゃダメでしょ!あなたの給料が減ってしまうじゃないか!正当な報酬を受け取るべきだ!」と文句を言うべきなのです。

 

 

人間はひどく微妙なバランスの元に生きています。
酸素が少なすぎても酸欠になりますし、酸素が多すぎても酸素中毒になります。

自身の許容量を超えるものは、酸素でも薬でもカロリーでも、そして金でも毒になるのです。
逆に、少なすぎてもダメなのです。酸素も薬もカロリーも、そして金も。


だからこそ人間の「共存する」という構造が、実に微妙なバランスの上に成り立っていることを
私たちは理解しておかなければいけません。


私が、どんな人に対しても「仕方ない」と片付けたくない理由も
そして、他人にとっては「仕方ない」ことであることへの理解も
全ては、母から貰った言葉によって得られているのです。

 

 

金を稼いでるから偉いわけではありません。
人を動かせるから偉いわけではありません。
学歴があるから偉いわけではありません。


金を稼げない社会が悪いわけではありません。
人を動かす人間が無能なのが悪いわけではありません。
学歴がないから社会から鼻つまみ者にされているわけではありません。

 


全ては自分自身の「自由」によって得られてきたものに過ぎないのです。

金を稼ぐならば、きちんと社会へと還元する仕組みを作るべきです。(貯蓄するな、人の為に使えという意味では決してありません。自身の私腹だけを肥やすのは「共存」のバランスを成り立たせていないということです)

 

人を動かせるならば、適切な状態から最適な状態へと移行できるように人を動かすべきです。(日本が最も弱いところと言われてもいますが、マネジメントをせよということです。義務教育の弊害は社会に出てからが一番大きいと言わざるを得ないと思います。)

 

学歴というのは結局ラベルです。東大を卒業してても無職になりますし、中卒でも大企業を創立することは出来ます。(もちろん、その学校において本人が得られた経験や知識は何物にも代えがたい財産です。

また、知的レベルが高くなればそういう経験が出来る、得られる可能性が高いのは当然であると思います。

ここで言いたいのは、本を読んで実践しさえすれば、学歴というのはさほど関係ないという点においては「ラベル」に過ぎないということです)

 

 

金を稼げない、上司/部下が無能、学歴がない。
これらは諦め過ぎで、自分で行動をしなさすぎた結果でしょう。

本を読んで、実践するだけで、割と何とかなるレベルのことが多いでしょうし
そうでなくても、人によって助けてもらっている部分が少なからずあるはずです。

 


私の座右の銘
「反省はする。けれども後悔はしない」

 


時に失敗と言われるように、人に迷惑を掛けることもあるかもしれません。
私自身は、両親含め多くの人に迷惑を掛けっぱなしの人生です。

これでもか!というぐらいに迷惑を掛けてきました。
けれども、迷惑を掛けたことに対して後悔はありません。


後悔するよりも、あの時に迷惑掛けられたけど結果的に良かったなと思ってもらえるように必死こいて努力した方が建設的だと信じているからです。(もちろん、やってしまったことに対しては、まずは謝罪。してもらったことに対しては感謝を伝えるべきです)
その為に、めちゃめちゃ反省します。
なんでダメだったのか、何がダメだったのか、どうしたら良かったのか、別のやり方は無かったのか、etc...
徹底的に反省して、次同じことをしないようにするのです。

 


一朝一夕では身に付きませんし、誰しもが出来るとは思っていません。
けれども、多くの人が誰かによって支えられて生きていることは間違いないと思います。


是非、支えてくれている方に「ごめんなさい」「ありがとう」と言葉を発してください。
今しか、届けられないかもしれません。

 

すぐに行動するべきです。
後悔する時間があるならばやってしまって、反省することです。

それは、もちろん警察の世話になるような類(つまり、法律や倫理に反するような行為)のものであってはいけません。

まあ、警察の世話にならないように理想を実現するというのは、比較的現実的ではないことが多いのも事実なのが悲しいところでもあるわけですが。

 


なるべくならば、世間、自らの父や母、兄弟や姉妹、親戚や近所の人に対しても同じ様に、胸を張って言えるようなことを今まさに一生懸命やるべきです。

 

 

主治医の先生からは、母の余命は聞いていません。
ただただ、出来る限りを、本人に負担がないレベルで行って頂いている状況です。

その中で、母には、今まで言えなかったことや感謝を目一杯に伝えています。

なるべく後悔しないように。
今の一分一秒を無駄にしないために一生懸命、母の看病と介護に努めています。

 

 

大学院は休学をしています。
会社に所属していないおかげで、母を付きっ切りで見れるような状況を作り出せたのは
私としてみれば幸運でした。(学校だから休んでいいという話ではなく、身の自由を自らの意志で生み出せるから良かったという話です。会社ならば、役員クラスであれば同じ状況を生み出せるのかもしれません。)

 

そして、今、また新たな方に支えて頂いて、働き口も見つかり
在宅プログラマとして仕事をこなしてもいます。

 


やろうと思えば何でもできます。
困っているならば、困っていますと言うべきです。

 

そして、そのための準備や前提条件を整えるための労力を惜しんではいけません。

 


捨てる神あれば拾う神あり。

昔の日本の人というのは、本当にうまい言い回しを使うものです。

 

 

今じゃ「ゲス不倫」ですからね。
俗社会になったのか、品がなくなったのか。個人的には、日本人全体の品が欠落してきたようにも思えます。

 


「年上を敬う」というのを「命令を聞く」とか「下手に出てやる」みたいに「自分本位」に捉えている人が多いのではないでしょうか。

年上が時代錯誤的、年功序列的なことを言っているからと言って、感情的に真っ向から反発するのは下品だと思います。(もちろん、最近は年寄りの暴力が問題にもなっているので気持ちはよく分かります。けど、だからこそ理性的に判断し、考えるべきだとも思うのです。)

 

「年上を敬え」というのも、50代や60代の方が似たような言葉をよく口にされていますが、自分から求めるとか下品だなとも思います。(そういうのは、各ご家庭の中で親が子に教え伝えていくものであって、公共の場でむやみに発せられるべき言葉ではないと思います。)

 

 

人がどうこうは一先ずここら辺で止めておきます。
私だって、まだまだ出来損ないですから、見聞を広げていかなければなりません。

 

 

 

最後に、長い雑文にお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
文章を書くってのは想像しているよりも遙かに大変で難しい作業だなと改めて実感します。

 

 

何かを成し遂げるというのは、それだけ大変ですけども、見合うだけの何にも代えがたい達成感があるものです。
ついでに、そういうのが仕事になる可能性も大いにあり得るところがまた素晴らしいところ。

 

 

悪いことばかりではないのが人生。

良いことばかりではないのが人生。

 

まずは、自身が笑って過ごせるようにすることが大切だと思います。

その為に、人が言ってることに一々腹を立てないことが大事です。

 

 

友人を大切に、警察の世話にはなるな。

この言葉を胸に、私は明日も歩んでいきます。